軟式野球は「きっかけ」を与えてくれる~大学軟式野球日本代表選考会レポート(前編)
6月10、11日、宮崎県西都市で大学軟式野球日本代表の実技選考会が実施された。全国各地の19連盟から約80人が参加。雨天のため2日とも室内での実施となったものの、選手たちは代表入りへ向け懸命にアピールした。選考委員会により選出された23人と主務1人は、12月上旬に予定されている台湾遠征で日本代表としての活動を行う。参加者たちの思いを探るべく、選考会に帯同した。
全国から「自薦」で集まった約80人の猛者たち
大学軟式野球日本代表の活動は、全日本大学軟式野球連盟の主催で1995年にスタート。現・中京学院大軟式野球部監督で今回も選考委員の一人だった髙栁昌弘さんらが中心となって発足した。代表チームは毎年、台湾やアメリカ、グアムなどに遠征し親善試合を戦っている。
今年は自薦で応募した約160人のうち、半数が書類選考を通過。実技選考会はプロ野球・ヤクルトの二軍がキャンプで使用する西都原運動公園で行い、髙栁や東北福祉大軟式野球部コーチで代表監督を務める小野昌彦さんら7人の選考委員が、投内連携やマシンを使った実戦形式の打撃、ブルペンでの投球を通じて参加者の技術と人間性をチェックした。
参加費や開催地までの交通費は学生の自己負担。競技人口が多くレベルの高い関東圏だけでなく、東北や北陸、関西など全国各地の大学に所属する選手がバランス良く集まるのも大学軟式野球の特徴だ。代表常連の実力者から競技歴の浅い下級生まで、参加者全員が同じ条件下で日本代表の座を争う。
日本一2回の名将が重視する守備の「安定感」
2006年から中京学院大を率いて2度の日本一を達成している髙栁は、主にノッカーを務めながら選手たちの守備に着目していた。髙栁が重視するのは「安定感」。ダイビングキャッチなど派手なプレーよりも、「細やかさと丁寧さ」を意識したプレーを評価している。中身が空洞になっている軟式球は硬式球に比べて跳ねやすい。そのため「グローブを出せば捕れる硬式野球と違って、軟式野球はグローブで包んで止めないと捕れない」という。名手に求められるのは、基本に忠実で、かつ積極的にアウトを取りにいく姿勢だ。
この姿勢を貫き、遊撃の守備でひときわ存在感を放ったのが、日頃から中京学院大で髙栁の指導を受けている中島虎汰朗内野手(4年=鹿児島実)。髙栁の教えは確実に伝わっており、「どんなに難しい打球でも簡単に捕れるよう守ること」と「少しでも早くランナーをアウトにすること」を心がけながら自身の武器を磨いてきた。小学4年の頃に野球を始めて以来、軟式野球一筋。昨年初めて日本代表に選出されたことで「軟式野球を広めたい」との思いが強まり、大学ラストイヤーの今年も参加を決めた。
軟式野球の奥深さを知った元甲子園球児
中島以外にも、軟式野球を知り尽くした4年生が多く参加した。吉田凜玖外野手(4年=聖光学院)は、昨年主将として夏、秋の全国大会で白鴎大を日本一に導いた左の好打者。2、3年次は日本代表にも選出され、上位打線を担った。
福島・聖光学院では強豪の硬式野球部に所属し、3年夏は甲子園でスタメン出場を果たした。しかし上のカテゴリーで続けられる自信は持てず、数校の大学から声がかかるも硬式野球を継続する道は選択しなかった。軟式野球部には「遊び感覚」で入部。それでも、日本代表の存在や全国大会のレベルの高さを知り、再び真剣に野球と向き合うようになった。
吉田は「軟式野球は『きっかけ』を与えてくれる」と話す。「軟式球は飛びにくく得点も入りにくい。例えば村上宗隆(ヤクルト)が3人並ぶより、村上の下に別タイプの選手が2人並ぶ方が1点を取れる確率が高くなる。弱小校出身でも、野球が下手でも、一つ武器があれば活躍できる」。硬式野球も軟式野球も第一線で、全身全霊で打ち込んだからこそ、軟式野球には選手が輝ける「きっかけ」がより多くちりばめられていることに気づいた。
「何度も心の中で思うのは、軟式野球だからこそ注目されたり、『すごいね』と言ってもらえたりするようになったということ。今年は正直選考を受けるか迷ったんですけど、経験して得たものや自分の考えを伝えることで、一人でも多くの後輩に『きっかけ』をつかんでもらいたいと思い参加した」。選考会ではその言葉通り、他大学の選手にも積極的に声をかける姿が目立った。軟式野球への恩返しの1年、最後まで全力で駆け抜ける。
日本代表への階段を駆け上がった最速142キロ右腕
投手では、昨年も代表入りした東北学院大の右腕・丸山祐人投手(4年=仙台)がアピールした。今春のリーグ戦では40回を投げ54奪三振、防御率0.68と圧倒的な数字を残し、東北王座決定戦でもチームを全国大会出場に導く熱投を披露した、東北を代表する好投手だ。
直球の最速は142キロで変化球も多彩だが、硬式野球部に所属していた高校時代は内野手だった。軟式野球に転向した大学では当初は投手と野手を兼任し、2年夏の全国大会で好投したことがきっかけでそれ以降は投手に専念することとなった。1、2年次は選考会の参加自体していなかったものの、投手として代表クラスまで急成長。本人は懸命な練習はもちろん、「自分が勝利に導くという気持ち」を持ち続けたことが飛躍につながったと考えている。そして大学軟式野球を、「高校まで日の目を浴びなかった人でも気持ちがあれば活躍できる場所」と表現する。
進路選択の際は大学で硬式野球を続けることに憧れもあったといい、大学入学後は時折、東北学院大が加盟する仙台六大学野球リーグ戦の試合を観戦している。ハイレベルな攻防を目の当たりにする中で技術の差を痛感する一方、「硬式野球だったら全然かなわなかったと思うし、投手をすることもなかった。100%軟式野球を選んでよかった」との考えに至った。日本代表とはいえ、いわゆる「野球エリート」ばかりではない。輝く場所を見つけた選手たちが、さらなる高みを目指して集まってきている。
後編に続く。
(取材・文・写真 川浪康太郎)